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井上靖の短編「狼災記」を読んだ。
解説には「西域をテーマにした小説の一つ」、「中島敦の山月記に似ている」等の言葉が並ぶが果たして本当にそうだろうか。
特に山月記とは比べるのがナンセンスなほど似ていない部分が多いと思うのは自分だけだろうか。
似ているのは獣と化した人間が登場することくらいだろう。
あまりにも違うのが結末(主題)の部分である。 山月記の最後の場面は旧友との別れ、李徴の苦悩に満ちた咆哮で終わる。それは芸術や名誉への捨てられない未練であるとか、過去への後悔、 獣になっていく自分への恐怖といったものが感じられる。いわば人間の残渣が放った叫びであって極めて人間的である。
一方で狼災記では、旧友は狼となった陸沈康に...首を屠られ惨殺される。 (ちなみに、旧友の部下二人も更に前に屠られて死んでいる。) 狼姿の陸は旧友に「俺は狼になって汝を襲うだろう。汝は俺を斬れ」と警告しているものの、あまりに衝撃的なラストシーンであった。
この部分だけでは意味不明だと思うが、全体を通して読むと友を殺してでも守りたかったもの、それだけの厳しさを以てやっていくのだという あまりに振り切った覚悟、そして獣の自分を受け入れる姿から人でも狼でも変わらない何かがあるかもしれない...と思わせてくれるところがカタルシスに繋がっている。
匈奴と戦う千人隊長の長、それが主人公の陸沈康である。 常に激しい戦闘の行われる地域に配備されてきた過去を持っている。 しかし絶対的に英雄視していた蒙恬が宦官の姦計によって死を賜ったことを知り、糸が切れたように心の支えを失ってしまう。 そして戦う意義をも見いだせなくなった彼は部隊の撤退と解散を決める。
撤退中、カレ族の集落で自分の宿宿とした家に隠れていた女を成り行きで手籠めにしてしまう。 女ははじめ無理やり抱かれるが次第に愛情らしきものを抱くようになり、六日目の朝、もう一夜交わると 我々はけだものになると告げ、明日の進発を求める。
しかし陸は雪の中で狼の声を聞き、女のことを思い出し集落に戻って女と再会を果たし、二人とも狼となる。
「けだもの」であって狼に変わるとは限らないが、なぜ狼になったか?
陸は自分の行為を刀で守っていた。誰か部隊の人間が入ってきて見られてはいけない行為を見られた場合、容赦なく斬り殺すつもりでいた。
一方女も万一忌むべきとされる行為を見られたら、陸の刀で入ってきた人間を斬るつもりでいた。
狼もまた、自分たちの姿態を見られた場合、相手がなんであれ死ぬまで追跡して殺してしまうと(作中では)されている生き物である。
人間の姿の頃から狼の心を持ってしまった者が狼に変ずるのは必然であった...
許されない愛は、それを見たものを葬り去ることでしか守れないものだった のである。
10年後。陸の旧友である張安良とその部下は守備隊長謁見のための移動中に、二匹の狼の狼の歓交の姿を見る。 そして冒頭の結末に戻る。張安良とその部下は死ぬ。 たとえ友であろうとも、陸は狼に変じた理由を語らない。振り降ろされた刃もものともせず、最終的には夫婦狼で旧友を殺してしまう。 夫婦の愛、守るべき秘密、狼の性、はそれほどまでに重いものであった。
変身もの(?)の主題の一つとして人間と獣の間で揺れる心の葛藤などがあると思うが、本作にそれはない。
戸外の雪の上に出た時、自分の後に続いて出てきた一匹の雌狼に眼を当て、初めて彼は狼の心を以て女を愛しいと思った。
という描写からもそれは明らかである。
本作で協調したいのはむしろ獣の感情を人間も持っているということなのではなかろうか。
しかもそれは野蛮であることを意味しない。人間の愛と、狼の愛。そしてその守り方。厳しいが美しい。
また、狼になる前の陸がすさんだ(とまでは言わずとも)感情が擦り切れるような生き様を送っていたのも注目すべきだ。
狼になったあとのほうがむしろ人間的感情が芽生えたのではないか。そんな気さえする。
狼の夫婦の情は深い。孤高の二人、いや二匹に幸あれ。