黒岩重吾の「新説信太狐」を読んだ。 艶っぽい語りに満足しかけたが、ラストシーンだけはかなり引っかかった。
「信太狐」というタイトルから察せられるように、狐女房をモチーフとした話である。 類話から、出会って男が約束を守らないことで正体が露呈して破局するまでは大方予想がつくところ。 しかしながら冒頭の場面の吐露「信田の山に来たのは畜生の妻に逢うためではなかった。」と同じ場面である最終盤の「彼はふと、この野干と契りたい欲望を覚えた」は落差がありすぎで一貫性がなさすぎないか…となった。 まあ、案外この一貫性のなさが生身の人間っぽいのかもしれないが。 また、最後に何の前触れもなく狐女房が人間になった展開で本を投げそうになった。
異類譚は異類バレした後にどう去るか、あるいはどう折り合いをつけるか、が見どころだと思っているので、 この展開だけは 絶対に 許せない。 日本霊異記の「来つ寝」と言った旦那の男気を見習え!!!!!!(過激派)
美女と野獣もラストに人間に戻る展開を持つ訳だが、大きな違いは読者はあらかじめネタばらし(王子が実は人間であること)を了解しており、 人間に「戻れる」かどうかが一つの軸として物語が進行する。最初から獣ではないという点は指摘しておきたい。 また、野獣の見た目でも深い愛を結ぶという点でルッキズム批判になっていて、主題があるなあという感じなのだけれど、 信太狐にはそういう主題が何であるかを感じることができなかった。 そこもちょっと残念ポイントではないかと思った。。
最後に狐の異類婚姻譚を成就する方法について考える。 まず指摘したいのは狐は異界へと誘う存在として描かれることが多いのではないかということである。 狐女房の類話においてドラマティックな出会いから始まることが多い。 また、「狐のまど」という絵本があるが、猟師に亡くなった親しい人や過去の幻影を見せるが、 猟師がこのまま魅せられて向こう側に行ってしまったというストーリーは当然考えうる。 ここから飛躍すると、異界へ誘う狐との異類譚を成就させるには狐と一緒に人間の側が異界へと踏み出して行ってしまうのが成就への近道では? という気がする。